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今年の5月から6月にかけて,日本では日本皮膚科学会の総会・学術大会があったが,海外では米国研究皮膚科学会(アルバカーキー),Georg Rajkaを冠する国際アトピー性皮膚炎学会(ノッティンガム),そして日独皮膚科学会(ハイデルベルク,ミュンヘン)が催され,鋭意出席した.特に印象に残ったのは日独皮膚科学会であり,日本側から70名を超える参加者があり,盛況に行われた.ドイツ側からは会頭であるA. Enk教授をはじめとして,T. Ruzicka(ミュンヘン),G. Plewig(ミュンヘン),T. Diepgen(ハイデルベルク),M. Röcken(テュービンゲン),P. Elsner(イェーナ),U.F. Haustein(ライプツィヒ),R. Kaufmann(フランクフルト)などの方々が参加されていた.さて,ここで筆者が読者に伝えたいのはProf. Gerd Plewig(プレヴィックと発音)である.この高名な臨床皮膚科学研究者は,ドイツではBraun-Falco教授,米国ではKligman教授の流れを継ぐ.Ludwig-Maximilians Universitätの教授となり,Ruzicka教授が後を継いだ.1939年生まれとドイツ語のWikipediaには書かれている.細身で,蝶ネクタイがよく似合う,笑顔を絶やさない紳士には,2年前,東京での日独皮膚科学会サテライトでお会いした.福島県立医科大学の山本俊幸教授の震災後の大学の状況と復興の講演を聞いたあと,Plewig先生は感じ入って涙しながらコメントをされていた.今回の日独ではHansen病の講演をされ,生きるレジェンド感を与えた.また極め付きは,ハイデルベルクからミュンヘンに向かうバスの添乗員をされ,ユーモアに満ちた名所の説明,はたまたトイレの案内をされた.添乗員衣装は真っ赤なチョッキ,真っ赤なズボンであり,恐ろしく似合っていた.懇親の場でも,参加者をねぎらうことを忘れず,話し掛けるときは,そっと筆者の腕に手を当て,洗練された表現で意を伝える.自然でしかも中味が詰まった内容である.自分はなれないであろうが,このように歳を重ね,押し付けがましいところが皆無で,しかし存在感は十二分にある皮膚科医は目標とすべきであると心底思った.同時に皮膚科学も文化であって,その文化の深みが彼の地には綿々と続いていることを感じた.
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