鏡下咡語
ベートーベンの難聴
立木 孝
1
1日本聴覚医学会
pp.570-572
発行日 2005年7月20日
Published Date 2005/7/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1411100165
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ベートーベン(Ludwig van Beethoven)は若くして難聴になり,その難聴はあらゆる治療に逆らって進行を続け,50歳を超える頃にはほとんど聾になっていたという。1824年5月7日,ウイーンで行われた「第九交響曲」初演の際,指揮者の1人として聴衆に背を向けていたベートーベンは,演奏が終わったときの熱狂的な拍手に気がつかず,歌手の一人に促されて振り返り,初めてその成功を知ったといわれている。このベートーベンの難聴の原因が何であったかについては,少なからざる論文や記述があるが,定説は得られていないようである。
1964年,ドイツ留学中であった私は,1日,ボンのベートーベン・ハウスを訪れた。ベートーベンの生まれた家が記念館となって,デスマスクやピアノ,そのほか数々の遺品や記念品を展示していたのである(図1,2)。ベートーベンが生まれたのは,3階屋根裏の小さな部屋で,そこにはベートーベンの胸像が1つ,ポツンと置かれていた(図3)。数々の展示物のなかには,メトロノームの発明者Mälzelがベートーベンのためにつくったといわれる4個の補聴器もあった(図2,4)。若い女性のガイドがいて,いろいろと説明してくれていたが,補聴器については,難聴が進行するにしたがって大きなものに変えなければならなかったと説明した。私はそのガイドに,ベートーベンの難聴の原因は何だったのかと訊ねてみた。若い女性のガイドは,一言,“Otosklerose”と答えた。
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