連載 あのころ あのとき・18
そのとき「蛍光眼底写真」を見た
谷 道之
1
1京都府立医科大学
pp.951-954
発行日 2002年6月15日
Published Date 2002/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410907762
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1945(昭和20)年3月,私は1年短縮で大学を仮卒業し,海軍軍医としての教育を受けたが,終戦1か月後に免官除籍された。9月末日に改めて本卒業式が行われ,10月に母校の眼科学教室に人局した。私は医師国家試験を受けずに医師免許証の交付を受けた最後の学年であった。その年の暮れには免許証をもらい,検査,診察の手ほどきを受けたが,教室は恩師藤原先生の他には2人の女医さんが在籍していただけで,中堅の男性医師は,すべてまだ軍隊から戻っていなかった。しかし,翌年,1946(昭和21)年になってから,1人,2人と軍隊から教室に戻ってきて,次第に賑やかになってきた。
そのころ,診察室で一般にみられた眼科疾患はトラコーマとその合併症,結膜・角膜フリクテン,角膜実質炎(先天梅毒性)などであった。しかし,1955(昭和30)年にもなると,抗生物質の開発・普及,衛生環境の改善,食生活の改善が進み,上記のような眼疾患は激減し,ついにはみられなくなった。
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