特集 緑内障Today
Ⅴ 緑内障手術をめぐるControversy
原発閉塞隅角緑内障(虹彩切開術後)・1
三木 弘彦
1
Hirohiko Miki
1
1関西医科大学眼科学教室
pp.157-159
発行日 1996年10月20日
Published Date 1996/10/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410905121
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
はじめに
1900年代の初期頃より,前房の深さの程度と隅角鏡(gonioscope)による観察所見より,前房隅角(irido-corneal angle)の広さや狭窄の程度で緑内障を分けて考えるようになった。1938年Barkan1)は,周辺虹彩が房水流出路の線維柱帯(trabecular meshwork)部に接着(閉塞)することにより,房水が流出できなくなり眼圧が上昇することを初めて報告した。このBarkanの報告は緑内障に対する考え方を大きく前進させた。1949年のAmerican Academy of Ophthalmology and Otolaryngologyの学会での緑内障シンポジウムで,wide-angle versus narro-angle緑内障2)について取りあげられ,原発閉塞隅角緑内障(pri-mary angle closure glaucoma, PACG)に対する認識が広められた。
このPACGの病態として,Chandler5), Grant4) Barkan1), Sugar3), Mapstone6)らにより瞳孔部で虹彩と水晶体が接着し,後房から前房への房水の流れを障害し,後房圧を上昇させて虹彩を弓状に前方へ突出させるため,周辺虹彩が線維柱帯部と接着して閉塞して房水の流出を障害するために眼圧を上昇させる…との瞳孔ブロック機序(pupil-lary block mechanism)の概念6)が示された。
Copyright © 1996, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.