文庫の窓から
『格致餘論』
安部 郁子
1
,
松岡 尚則
1
1研医会
pp.1110-1114
発行日 2017年7月15日
Published Date 2017/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410212346
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『格致餘論』は元代に著わされた医学書である(図1〜6)。序文には30歳の時に母親が脾を患ったことをきっかけに医学を志し,母の病を薬で治療したと述べられている。どの医者にも治せなかった病を,『素問』を3年学び,さらに医学を2年学ぶことで自らが快方に向かわせたというこの人物こそ,以降の医学に大きな影響を与えた朱丹溪(1281〜1358)である。朱丹溪は名を震亨,字を彦修といい,義烏(現在の浙江省義烏市)の出身。住まいが赤い渓流の傍らにあったことから,門人たちは丹溪翁と尊称したという。その医学は李東垣の「李」と朱震亨の「朱」をとって「李朱医学」と呼ばれ,現代中国医学へとつながりを持ち,わが国にとっても戦国期に取り入れられ曲直瀬道三らによって大きく広められている。
『格致餘論』という書名は『礼記』大学に理想の政治への初段階として,ものごとの道理を窮めただすことが求められており,これを「格物」といい,また朱子学で知識を窮めて物事の道理に通じることを「致知」というが,こうした言葉から「格致」と名付けたらしい。序文では「古の人は医学を,我々儒者にとっての格物致知の一事とした」ので『格致餘論』としたとある。
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