文庫の窓から
眼科諸流派の秘伝書(28)
中泉 行信
1
,
中泉 行史
1
,
斉藤 仁男
1
1研医会
pp.458-459
発行日 1984年4月15日
Published Date 1984/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410209154
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37.柚木流眼科秘伝書
眼科諸流派が一流一派を樹立してその特色を誇称してきたとはいえ,その秘伝とする内容は,某流の内薬は何の眼病に妙薬であるとか,某派は内障の治療術に優れているとか,一方一技をもって他流と互に競っていた程度である。しかし,何れの流派の医家も眼病治療の妙術を生みだすためにはその病因を究明し,創意一工夫を必要とした。また,そうした気持を抱いていたに違いない。そのために,できうれば人体の解剖をしてその仕組を知り,眼病の原因を突きとめることによって,治療を効果的にしようとした。しかし,こうした考えを実地に行うとする時,最大の障害になったものが宗教的抑制であったように思われる。また,官の目も非常に厳しかった。
こうした時代,柚木太淳(字仲素,号鶴橋,京都の眼科医,〜1803)は寛政9年(1797)8月6日官に請願し,許を得て,その10月に一刑屍を解剖し,「眼科精義」,「解体瑣言」(寛政11年刊)等を著わしたといわれる。これより先,根来東叔(京都の眼科医)は享保17年(1732),人骨を観察して写生し,それに説明を加えて寛保元年(1741)に「人身連骨真形図」と題する一書を作った。ついで寛保2年(1742),「眼目暁解」を著わした。この書には眼球の構造を想像によって描いた眼球内景図が載せられ,白内障手術の経験より白内障は眼球中央部の病であると,その部位の解剖学的位置づけをしているといわれる。
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