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玉機微義(1)
中泉 行信
1
,
中泉 行史
1
,
斉藤 仁男
1
1研医会
pp.598-599
発行日 1980年4月15日
Published Date 1980/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410208092
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室町時代の末期に所謂李朱医学が僧月湖(享徳2年,明に渡り銭塘と云う所に住み医を行った僧医)の影響を受けた田代三喜(足利学校で医を学び,後ち明に渡り李東垣,朱丹漢の方術を月湖及び恒徳の孫に受け,凡そ12年間の留学の後帰国)によって導入され,それが曲直瀬道三(初代)等の努力もあってわが国に拡められたことについては,前掲「啓迪集」の処でふれたが,道三流医学の真髄を伝えるといわれる「啓迪集」の中には中国の古医書「八十一難経」をはじめ60余種が引用されていることも衆知のことである。道三は「啓迪集」を編集するに当って「玉機微義」を常に座右の書とし,その基本にしたという。これは道三が享禄4年(1531)田代三喜に遇い,「素問」や「玉機微義」の医論を学んだからであろうと思われる。
「玉機微義」は金・元医学の四大家(劉完素,張従正,李東垣,朱丹溪)の学を伝える私撰の医学全書であると云われているものであるが,元末明初の医家,徐用誠の著「医学折衷」を劉純(明・陜西咸寧の人,宇,宗厚)が増添した治方の書であるともいえる。
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