文庫の窓から
『金匱玉函経』
中泉 行弘
1
,
林 尋子
1
,
安部 郁子
1
1研医会
pp.406-408
発行日 2008年3月15日
Published Date 2008/3/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410102179
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『傷寒論』と表裏の書
『金匱玉函経』は『傷寒論』と表裏をなす書といわれ,『金匱要略』を加えた3書は,張仲景医書として後漢の頃から今に伝えられる貴重な書物である。宋臣・林億らの手によって治平3年(1066)に初刊本が出されており,その林億の序にはこの書が『傷寒論』と同体別名で,やはり王叔和(3世紀)の撰次したものであるが,晋の時代から800年をへだてているので誤りが多い。その文理は『傷寒論』とは不同の点もあるが,その意義はみな通じるからあえて臆断せず,旧によって8巻,29篇,115方として,『傷寒論』とともにこれを存す,としている。
実際,林億らは『傷寒論』に引き続き翌年にこの『金匱玉函経』を世に送り出しており,その重要性を認識していたと思われる。だが,この宋改版が出た後,清朝の康煕56年(1717)上海の陳世傑が刊行するまで650年以上にわたり,この書が出された記録は見つかっていない。我が国においても延享3年(1746),清水敬長によって翻刻されただけで,流布した本は少ないと言われている。ちなみに,この清水敬長は山脇東洋の実弟で,実家を継いだ弟であり,敬長が『金匱玉函経』を翻刻した同じ年に東洋は『外台秘要方』を翻刻している。
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