文庫の窓から
啓迪集(3)
中泉 行信
1
,
中泉 行史
1
,
斉藤 仁男
1
1研医会
pp.868-870
発行日 1979年6月15日
Published Date 1979/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410207907
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慶安2年(1649)己丑歳,上村次郎右衛門開板の「察證辨治啓迪集」巻5,第43丁より第53丁には眼目門が掲載されているが,この中には「玉」と印された箇処が何箇処もあり,「玉機微義」(明・徐用誠撰,全50巻)がよく用いられたことが判る。また,図10からも明らかなように,「玉機微義」の眼目門の項目は「原機啓微」附録(元・倪維徳著,明・薛巳校,上・下,附録)(図11)の項目とほとんど同様で,この両書が中国,元代から明代にかけて著わされた医書なので,道三の「察證辨治啓迪集」には,その内容は時代的にみて中国元代から明代の眼科が取り入れられていることが窺われる。
このように「察證辨治啓迪集」は学術的にはかなり高度な水準を行く医書であるが,これが実地医療にどの程度吸収され,応用されていたかはつきりしない点も多い。また,本書は内科を主に扱つていた医家によつて編された医学全書であるためか,その眼目門に記された眼科も全般的にその要旨のみが簡潔に述べられている感じがする。
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