談話室
欧米族日記(その8)
萩原 朗
1
1東大眼科
pp.1353-1360
発行日 1958年10月15日
Published Date 1958/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410206469
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足かけ3カ月,正味1カ月半のボンに於ける療養生活は,天候と共に心の晴れない日の連続でした。西独の初夏の空は,日本と同様で,西又は南西の風が,灰色の雲を毎日忙しなそうに,東北の空に運んで行きます。Prof.J.K.Müllerの厚意で紹介された外科の教授に,左手のギツブスを当てゝ貫い,眼科教室の二階の未だ塗料の臭いの漲つている小部屋をお借りして,病を養うことになりました。この部屋に最も近い病室を受持つている若い看護婦さんが,朝昼晩の食事を運んで来てくれます。旧いボン大学の病院は,終戦頃までは下町の街中に在つたのですが,市の南郊になだらかな裾を引いたVenusbergの丘の上に,外科,産人科,皮膚科,耳鼻咽喉科などが相次いで移転し,最近に至って眼科が新築されたのです。後から出来る病院程,体裁もよく大きさも大きいのが普通ですが,ボンの大学の眼科教室もその例に洩れず,実に堂々たるものです。浅いコの字型に建てられた4階で,各階の中央を通す一丁余りの長い廊下の両わきには,大小200に上る数の部屋が竝んでいます。正面玄関を入れば,右手の半分は全て病室で,左手の一階は外来,二階は主として精密検査室,三階は手術室で,地下が研究室となつています。
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