今月の言葉
太陽族
M
pp.5
発行日 1956年10月1日
Published Date 1956/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611201132
- 有料閲覧
- 文献概要
近頃社会の各方面から「太陽の季節」とか「狂つた果実」とかの所謂太陽族映画に対する批判が強くなつてきている.これら一連の映画は,人間の性本能をむき出しにし,それを肯定したもののようである.これらを反省力の足りない未成年者に自由に観せることは,種々の点で悪影響があるのは当然である.これに対して,未成年者の入場を禁止するなどの方法もとられているようであるが,そんなことはかえつて好奇心をそそることになり,また実際問題としても枝葉のことである.根本はこのような映画を製作しないことである.映画のみでなく出版方面においても,この事が社会に如何なる影響をもつかなどということは,殆んど考慮せず,ただもうけさえすればよいとの商業主義が横行しているのは,誠に寒心にたえない.この目的のためには手段をえらばぬ,という考え方が改められねば社会は決して良くならない.ことに絶大な影響力をもつ映画を作製する場合は,この社会的影響が第1に考慮されねばならない.一般的に自己の言動に責任を持つ,ということは民主々義,自由主義の基本であるが,戦後の日本はこの点が全く逆に動いている.それは,わが国民に自由性がなく,いつも他から号令をかけられねば動けないようにさせられてきたからである.「太陽の季節」が出れば頭の刈り方まで流行したり,卓球世界大会があれば,街に卓球屋がふえ,マナスル登山に成功すれば,ドツト山におしかける.
Copyright © 1956, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.