談話室
欧米旅日記(其の7)
萩原 朗
1
1東京大学
pp.224-232
発行日 1958年2月15日
Published Date 1958/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410206268
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パリからブランクフルトに飛ぶエーヤフランスの航路は,この両市を結ぶ直線の上空ですが,地図の上でこの直線を引いて見ますと,LuxenbourgとSaar地方との境界を過り,所謂Rheinlandの南部を横切つて居ります。午後5時半に飛立つた機は,暫くは低空の雲層と高空の雲層との間の雲のない空を飛んで居りましたが,いつか雲が切れて,眼下には緩い起伏の丘の連なりが,見渡す限り広がつて見えて来ました。丘の間の谷には,縦横に河が流れ,その河に沿つて細やかな町や村が散ばり,その町や村を連ねる道路や鉄道の佇が,宛ら展覧会場の模型を見るようです。何世紀かの昔から,独仏両国の軍隊が,押しつ押されつ進撃を繰返した血腥い古戦場なのでしよう。
飛行時間約50分間で,薄雲の広がつた空から,その規模の大きさを誇るRhein-Main-Flughafenに降り立ち,簡単な入国の手続きを済ませて,「ブス」Busで,Hauptbahnhofの前通り明るく燈のついたFri-edrich-Ebert Strasseに在るEndstationに着きました。パリと打つて変つて応待の丁寧な事務員に送られ,タクシーでとある小さなホテルに靴を脱ぎましたが,此処も亦中々快適で,何かしら日本に帰つたような錯覚を感じました。これは何も誇張でもなく,言葉のあやでもありません。私と同様のコースをとつてドイツを訪れる日本の医学徒の多くがそう感ずることと思います。
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