談話室
欧米旅日記(其の6)
萩原 朗
1
1東大
pp.1495-1500
発行日 1957年12月15日
Published Date 1957/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410206196
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ロンドンの空港から,パリの南オーリー空港まで,エーヤフランスで,丁度50分間かかりました。ロンドンの上空は雲に閉されて居りましたが,ドーバー海峡の上から晴れ始めて,パリの空はすつかり晴れ渡り,もう既に西に傾いた晩春の太陽が,眼下に広がるパリの街を,明るく照した居りました。空港からバスに揺られて40分間パリ市内のエツフエル塔に近いセーヌ河の南岸アエロガール・デ・ザンバリツド(エーヤターミナル)に着いたのがもうそろそろ6時になるという時刻でした。幸いこの地に留学して居られた東大脳研の万年氏に迎えられて,戸惑いすることなく,市の南郊に近いシテ・ウニヴエルシテールCité Universitaireに落着くことが出来ました。
シテ・ウニヴエルシテールは大学都市とでも訳すのですか,Parc Montsouris即ちモンスリー公園と一つ道を隔てた100000坪余りの区域に建てられた国際学生寮の集まりです。設立は1920年で,現在はMaison de何々と16カ国の寮が出来て居りますが,これらは各国が費用を出して建設し,これをフランスに寄附し,フランスの管理の下に,その国々の留学生が使用することになつています。Maison de Japon日本館或はEtudiantsJaponaisは束の端にあつて鉄筋コンクリート建てではありますが,外観は日木式で,階数は6,部屋数は60だとか聞きました。
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