談話室
南米移住者とトラコーマ(其の1)
大石 省三
1
1山口医大
pp.1317-1318
発行日 1957年10月15日
Published Date 1957/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410206159
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我国の南米移民はかなり古く,私の子供の頃(大正10年前後)村の役場の掲示板に「さあ行こう,一家をあげて南米へ」と書いた,ポスータのはられているのを憶えている。と同時に当時既にトラコーマ患者の入国が禁止され,無情にも雄志空しく送り帰えされたりしたと云う。石川達三著小説「蒼怋」を待つまでもなく我国の移民史とトラコーマは因果のきずなにつながれながら現在に到つていると云える。戦後再び南米移住(移民とは云わない)の問題が取り上げられ,昭和27年12月28日第1回のアマゾン移住者5千名を乗せたサントス丸が,神戸を出帆してから,年を追つてその数を増し,ブラジルのみならず各中南米諸国に移住する人々は毎月1〜2回の船便を利用して渡洋しつつある現況である。その主なる移住たるブラジル入国者数を見ると1946〜1954年の9力年間の統計では,ポルトガル,イタリー,スペイン,ドイツに次いで我国は第5位を占め,1954年の1年間にはドイツを追越して第4位に進出しているのである。この傾向は漸く政府,海外移住協会の斡旋,指導と共に近年30〜40年の彼の地の生活で所謂成功者となつた人々の久々の帰国談等に依り我国のすみずみまで一大関心を持たれつつあり,狭隘な国土に過密人口をもてあます我国としては人口問題の解決にも,将又経済発展の上からも重要国策の一つとして慎重に取扱う必要がある。私はここに改めて開拓医学の必然性を提唱するものである。
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