Japanese
English
臨床実験
所謂鼻性視神経炎の總括的觀察
Gesamte Beobacbtung uber der Rhinogen Neuritis
坂上 俊彦
1
1慶大眼科
pp.963-968
発行日 1954年9月15日
Published Date 1954/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410201985
- 有料閲覧
- Abstract 文献概要
- 1ページ目 Look Inside
副鼻腔疾患と視神経疾患との関係に就いては最近特に之が原因に関し屡々論争の的とされたるも,古くは1886年Berger u. Tyrmannが蝴蝶骨洞疾患に際して視神経疾患の起る事を始めて記載して以来世人の注目を惹くに到つたものにして,更に1904年Onodiが副鼻腔と視神経管との解剖的関係を詳細なる研究によつて発表して以来俄に此の方面の研究が盛となつた。即ち氏は蝴蝶骨洞と視神経管及び視神経溝との密接なる解剖学的関係に注目し,又篩骨蜂窠との興味ある関係をも夫々各型に分類して詳しい発表をした。然し如何なる病理機転に因り副鼻腔疾患が視神経に波及されるか,又両者の間に如何なる関係が存するかに就いては充分なる説明が与えられて居らず,視神経に対して後副鼻腔が最も原因的関係のある事は一般に異論はないが,その病理に於ては著しく究明は困難にして常に推定的所説に止り後に多くの説が沸騰するに至つた。
次いで1907年Birch-Hirschfeldが中心暗点を唱え,1909年及び1910年にv.d. Hoeveがマリオツト氏暗点の拡大を唱えて後幾多の相次ぐ報告が発表され副鼻腔疾患と視神経疾患との関係は眼科界のみならず耳鼻科界に於ても興味の中心となつたのである。
Copyright © 1954, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.