特集號 第5回關東甲信磐越眼科集談會
普通講演
(52)進行性鞏角膜周圍炎の組織學的所見に就いて
福田 恒一
,
岡田 榮
pp.211-214
発行日 1952年2月15日
Published Date 1952/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410201093
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緒論
1926年V.SzilyはScleroperikeratitisなる一種の鞏角膜炎に就いて記載し,同氏は本病の原因が結核であると説いた。本病に就いては既に外國に於てはSchlodtmarnn, Friedland, Uhthoff,Gilberti, V. Hippel, Verhoff, V. Planta, Land-egger等の症例があり,我國に於てもこの名稱のもとに約10例の報告がある。本病の本態に就いては確實な症例を組織學的に検索したものはV.Szily石川,菅沼,壺井—出羽—松田sehlodt-mann Faiedland V. Hippel Uhthoff Verhoff肥後,百々—赤松,田上氏等の13例である。その内V.Szilyの述べた樣に結核説が最も多く次で梅毒説,リウマチ説,アレルギー説となつている。然しながら本病は比較的稀な疾患で然も治癒が甚だ困難であり,その特異な病變像の故に吾人の興味を惹きつつを剖検例が至つて僅少である。私共は最近1眼進行性鞏角膜周團炎の診斷のもとに治療中漸次惡化して來たので眼球剔出を實施しその組織學的所見に聊か興味ある所見を得たので追加報告をする。
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