臨床實驗
進行性鞏角膜周圍炎(シリー)の病理知見補遺
田上 正康
1
1熊本大學眼科
pp.640-643
発行日 1951年10月15日
Published Date 1951/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410200956
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緒論
1926年v.SzilyはScleroperikeratitisなる1種の鞏角膜炎に就て記載し,同氏は本病の原因が結核であると説いたが,本病に就ては既に外國ではSchlodtmann, Friedlane, Uhthoff, Gilbe-rt, v.Hippel, Verhoff, v.Planta, Landegger等の症例が報告され,我國でもこの名稱のもとに約10例の報告があり且つ本病の本能に就ては内外共にv.Szilyの述べた樣に結核説最も多くその他「ロイマナスムス」,痛風,原因不明のもの等があり現在迄本病の本態論に就ては色々にして一定しておらず,唯外國に於てVerhoffのみが1人梅毒説を記載している。然るに本邦に於て菅沼氏は昭和15年に同氏の經驗した1例の剖驗例よりして,その原因が梅毒である事を確め本病の本態が從來結核説の傾きがあつた中に本邦に於ける梅毒説の嚆矢として新に注目されるに至つた。その後昭和17年に至り肥後氏は本病の定型的3症例4眼中續發縁内障にて失明した摘出眼球の組織所見より,先に菅沼氏の述べた例と完全に一致するのを經驗し,尚本病に驅梅療法の奏效した例の,同氏の3例を加えて4例9眼に達している所から梅毒説に賛意し,かゝる病症を呈するものを特に「菅沼氏梅毒性進行性鞏角膜周圍炎」と呼ぶ事を提唱している。
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