〔Ⅴ〕私の經驗
メチールアルコール中毒性眼疾患と其療法
鹿兒島 茂
pp.48-49
発行日 1947年4月20日
Published Date 1947/4/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410200179
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1876年に佛國Beaulien刑務所で因人が飮用して1名は死亡し他は失明したことが初めての報告で露國,米國次て獨國などに報告せられてから愈々世人の注意する處となつたことは須知の事實である。本邦に於ては1904年に河本先生により初めて報告せられ次で多數の報告がある。殊に宮下博士が普通新聞紙上に記されてから特に一般の知るところとなつたのである。
然るに太平洋戰爭終戰となるに及んで軍隊から放出された燃料の一部に此のメチールアルコール又はメチール含有のものが有つたのを民間人が或は水で或は他の酒料に混入して飮用したことによつて死亡したり失明したりした例が大分見たり聞いたり讀んだりした。私が直接經驗した例丈けでも約50例に近いから大學其他大病院なとでは相當多數例になり日本全體を綜合するときには意外に莫大な數字を擧げることになると思ふ。
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