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白内障手術がようやく1人で出来るようになった頃,手術当日はそれ以外のことはどうでもいい気持ちで,無事終わったときの達成感は甚大だったのを思い出します。硝子体注射にしても数回やるまでは心拍数が恐ろしく上がっていましたが,そのうちなんともなくなっていました。慣れるとは素晴らしいことで,感動は少なくなりますが,平常心でこなせることが増えるのは仕事を続けるうえで嬉しいことです。
私は強度近視であり,子供の頃から眼科に行くことが多かったため,親近感があって眼科を選びました。けれども入局してみると細かい部分を見なければならないし,細かい作業が多く,眼科医に向いていないと思い始めました。私が子供のころは眼鏡をかけると目が悪くなる,と言われていたこともあって眼鏡を買ってもらえず,中学生になるまでピンボケの世界で過ごしていたため,目からの情報処理能力が低くなったのではないかと思ったほどです。特に顕微鏡下の作業や手術は全く思うようにいかず,しかも機械も苦手で苦労しました。外来ではよくわからない病気に遭遇して戸惑い,手術も怖いし,かけだしの頃は毎日とても辛く,「毎日新しいことを経験し,成長が感じられて仕事が楽しいです」などという感想を書く人を見て信じられない思いでした。そして大企業に就職した高校時代の友人に「向いてないからやめたいわー」とよく電話で相談しました。今でも「やめたらあかんよ,もったいないから絶対やめたらあかんよ」と一生懸命言ってくれた彼女の言葉を思い出します。彼女は非常に美人でしたがどんくさいところがあり,出身大学がT大だったため「T大卒なのにあれもできない,これもできない」と言われるのがとても辛く,結婚を機に仕事を辞めてしまいました。その後子供が生まれ,私の名前を使わせてほしいと言われました。古くさい名前で好きでなかったのに…とも言えず,なんだか照れくさいやら嬉しいやら心配やら複雑な気持ちでしたが,友人の娘さんも「禎子」になりました。読み方は違いますが,毎年年賀状を見るたび分身のように思えて,写真を見るたび元気に大きくなって,と願ってしまいます。そしてきっと医者であることも含め私を認めてくれて娘に同じ名前をつけてくれた(と思う)友人を裏切らないよう,しっかりしないといけないな,と思います。
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