落穂拾いと老爺感傷と・13
人類に於ける生存多胎性の限度
安藤 畫一
pp.908-909
発行日 1966年11月10日
Published Date 1966/11/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1409203590
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まえがき
思いついて計画した落穂拾いも,さて実行してみると思いに任せぬ。殊に毎月連続的にということはなかなかに困難で,目を皿のようにして努めながら発見が思うようにならぬ。それが落穂の本質だと観念はしても,さりとも今更にこの項を断念はしきれぬ。それで時々に純粋に落穂でないものをも混入した。これだと何とか連載もできそうに思えたので,題名にも「老爺感傷」を附帯させることとした。夥しく多数の産婦人科研究の中で有意義でありながら多忙なために関心事とせぬ「テーマ」を老爺人なりに注意してその大要を紹介することとしたのである。当初に志した純粋な落穂ではないが,かなりそれに似たものをと志したことを寛恕して戴きたい。それによつて約2頁と定めた初志を改めて,題材によつては3〜4頁ともなることを認めても戴きたい。その第一に選んだのが人類に於ける生存多胎性の限度についてである。
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