追悼文
故大橋敏郎京大助教授
長谷川 泉
1
1医学書院編集部
pp.1138
発行日 1960年12月10日
Published Date 1960/12/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1409202341
- 有料閲覧
- 文献概要
ドイツのキール大学に客員教授として出張中急病を得て彼の地に客死した京大産婦人科助教授大橋敏郎博士の教室葬は10月19日午後2時から,故助教授に最もゆかりの深い同大学医学部産婦人科講堂でしめやかにとり行われた。現在教室を主宰している三林隆吉教授の明年停年をひかえ,衆目の見るところ当然教授に昇任が予定され,そのような準備が進められており,むしろ今回の出張がそのはくつけのための感を与えていた際の突然の死であるだけに,教室ならびに関係者の驚愕と哀惜の念はきわめて大きいものがあつた。
告別式当日は参列者多数のため講堂を第1会場として教室関係者に限り,別に第2会場を設ける盛大なものであつた。キール大学出張中の急病発現は,十二指腸潰瘍穿孔および輸尿管結石であつたが,頑固な坐骨神経痛治療のために用いた大量のプレドニゾロンが結果を悪くしたものと思われる。手術後一時経過はよく,数次の国際電話によつて病状の経過を見守り快癒を祈つていた教室員の望みもむなしく10月14日に逝去されたもので,急報によつて夫人の渡航も手続中であつたが,遂に間に合わなかつたという。異境の地にあつて発病しながら最後までキール大学関係者をして,最もすぐれた紳士であると感激させた態度は,渡航後の真摯な研鑚の成果と共に参会者の心を打つた点であつた。遺骨は,急を聞いてロンドンからかけつけた京大稲本教授の手によつて故国にもたらされたので,稲本教授からはその経過の報告があつた。
Copyright © 1960, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.