追悼文
山元教授の急逝に想う
樋口 一成
1
1東京慈恵会医科大学
pp.1137
発行日 1960年12月10日
Published Date 1960/12/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1409202340
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名古屋大学医学部産婦人科教室,山元清一博士が11月8日脳卒中で急逝された。行年60歳,教授は明治33年1月15日,大阪府南河内郡長野町に生れ,富田林中学を経て,大正15年名古屋大学の前身愛知医科大学を卒業,昭和8年講師学位受領,10年助教授,30年以来教室を主宰されて今日に至つた。その間昭和16年学会に於いて子宮外妊娠の宿題を担当,23年より3期前後6年間に亘つて分院長を務められ,一方前々期及び今期の学会理事であり,尚次々回総会は開催地名古屋市,会長は教授と決定,既にその準備を始められた処であつた。私が初めてお目にかかつたのは,昭和7,8年の頃であつたと思うがはつきりしない。併し慈恵の教室で卵巣充実性腫瘍を集めているのに対して,初めから極めて親切に扱つて頂いた事はよく憶えている。第二次大戦中,当時の国策生めよ殖やせよの線に沿つてこれを推進する為,全国医学部産科関係の若い教授,助教授を集めて一つの研究班が作られた事があつた。その時我々もこれに加わり,以後はきさらぎ会の名のもとに総会の時,夏休みに又折にふれて寄合い,それにつれてお互の親密度が余りに厚くなつた為,老大家連の一部から青年将校グループという名前を頂戴したこともあつた。この親しさから皆本名を呼ぶ者はなく故人は名古屋の清ちやんで通つていた。今月4日私は対癌協会の仕事で名古屋に出向いた。
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