追悼
楽しき友 大橋計彦との別れ
二村 雄次
1
1名古屋大学医学部器官調節外科
pp.626-627
発行日 2002年9月15日
Published Date 2002/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1427900461
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「消化器画像」の読者の中で大橋計彦の名を知らない方は殆んどいないのではないかと思います.もちろん彼の名前は本誌のvol.4 No.3まで編集協方委員として残っています.その彼が今年6月3目,約1年半近くの闘病の後,他界されました.同級生として,特に卒業後親しく付き合ってきた同業者として惜別の言葉をこの1頁をお借りして述べたいと思います.
同級生ではあったが共に授業にはあまり出ず,彼は野球部,小生は柔道部の連中との親交を深くしていたため,学生時代の付き合いは殆んどなかったと言ってよい.昭和44年に無事卒業後は彼は名古屋のテリトリーからすぐ離れ,当時の消化器病学の頂点の学府と認められていた順天堂大学の白壁教室の門下に入った.そして名古屋学派よりも常に先を走り続けた.スウェーデン留学から帰国した頃は光輝いていた.学会場で会った時に,選択的な肝動脈造影を行うためにカテーテルの先をいかに細工をするかという話を聞いた.当時としては腹腔動脈から総肝動脈ヘカテを送り込む操作はまだまだポピュラーにはなっていなかったため,大変新鮮で極めて興味深い話であった.さっそくその技術を応用して総肝動脈造影に成功し(放射線科医との競争に勝利し),名大病院の放射線部で外科医が腹部血管造影を行う許可を得ることができた.今でも外科医が独自で放射線部の中を走り回って血管系の諸検査を行っておれるのも彼の技術輸入のお陰であると思っている.
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