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編集後記
倉智 博久
pp.976
発行日 2011年7月10日
Published Date 2011/7/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1409102744
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「東日本大震災」についての編集後記が続きますが,山形での経験を記します.「3.11」は私にも忘れられない日となりました.突然,1人の医局員の携帯電話が地震速報を告げたのがことの始まりで,数分後には猛烈な揺れが始まり停電しました.すぐに病院幹部が「防災センター」に集まりましたが,患者と職員の安全が確認されたあと最初の問題は停電でした.重油による自家発電にはタイムリミットがあり,病院への電気供給を確保するため,医学部はすべて電気供給をストップしました.医学部内には全学的に取り組んできた分子疫学の貴重な血清サンプルなどもありましたが,それらを保管していた冷蔵・冷凍庫もすべて電気の供給をストップせざるを得ませんでした.幸い,比較的早期に電気が回復し,実害はありませんでしたが,このような状況でのすばやい正しい判断はリーダーの重要な資質であると思います.次の問題は,「物流」が機能しなかったことです.まず,患者給食の食材の確保が困難で,医療材料は3日分,医薬品は7日分しか在庫がありませんでした.3.11から2週間以上にわたって,週末を含めて毎日8時,12時,17時の3回,3週目は朝,夕の2回病院の幹部が集まって対策会議を開催し,手術を含めすべて優先順位をつけて診療に当たりました.私が産婦人科医として感謝しているのは,病院全体で周産期の診療を何より優先していただけたことです.今回は,周産期医療の重要性を改めて考えさせられました.
被災地の近くにいて強く感じたことのひとつは,被災地に近いほど,よりすばやく正確な情報が必要なところに情報がないことです.これは,津波の被害の大きな要因であったと考えられます.
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