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はじめに
しばしば「人間を生殖の道具としてはならない」といわれる.しかしながら,生物個体はそもそも生殖のための道具としての側面を有し,生殖は個体を犠牲とする可能性を内包する行為である.したがって生殖を補助することは個体の健康をおびやかし,個体を道具化する危険をはらんだ行為であるということも可能で,配偶者以外の第三者を介入させることはその危険を広げることでもある.こうした認識に立ったとき,子どもを得ようとすることがどこまで基本的な権利と考えられるか,他人の健康を危険に曝すことがどこまで許されるのか,議論の分かれるところである.
1799年にイギリスのJohn Hunterが射出精液を用いて人工授精を行って以来,「生殖の性交からの分離」が可能となった1).Hunterが行ったのは配偶者間の人工授精であるが,性交から分離されたことにより,生殖への第三者(非配偶者)の介入が容易になったといえる.夫以外の男性から提供された精子を用いて人工授精法を行うAIDは,無精子症を適応として,1930年代には行われていたと推定されており,日本でも1948年から慶應大学などの限られた施設で行われている.
体外受精(IVF)・顕微授精(ICSI)を含むARTの発達は生殖への非配偶者の介入をさらに加速した.提供卵子を用いたIVFは1985年に報告され2),2011年時点では多くの国で,提供配偶子を用いたARTがすでに日常診療として確立している.
提供配偶子を用いたARTとは別に,第三者女性の子宮に依頼者カップル配偶子に由来する胚を移植する方法(IVFサロガシー)が存在する3).第三者女性(サロゲートキャリア)が妊娠分娩に伴う医学リスクを負うことから,より複雑な倫理的・法的問題を内包している.IVFサロガシーについては,商業的なサロガシーを法的に規制している国が大多数であり,配偶子提供とは状況が全く異なることを認識すべきである4,5).
本稿ではこれらの非配偶者間ARTに関して,(1)倫理的問題,(2)医学的問題,(3)法的・社会制度的問題に分けて論じる.
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