臨床経験
母趾腓側種子骨の無腐性壊死の1例
浦野 良明
1
Yoshiaki URANO
1
1九州労災病院整形外科
pp.86-89
発行日 1974年1月25日
Published Date 1974/1/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408904943
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1736年Nesbittによつて母趾中足骨頭下面に存在する一対の"種子骨"が報告され,1892年Pfitznerがこの種子骨は短母趾屈筋腱内に形成されることを指摘し4),その後1924年Renanderは外傷の既往がなく,歩行時第1中足骨頭の足底部に疼痛を訴え来院し,X線的・病理組織的に脛側種子骨の壊死と診断した2例を"Typical osteochondropathy of the medial sesamoid bone of the first metatarsal"として報告して以来12),"Osteochondritis3)","Osteochondrosis","lokale Malazien10)","Sesamoiditis7)","typical disease of the sesamoid bones6,7,10)"さらに本邦では"母趾種子骨痛14)","母趾種子骨無腐性壊死511)"などとよばれ,病因についても骨軟骨の炎症・骨栄養不良・血栓形成・内分泌の異常など種々の説がある.しかし一般的には"Perthes病","Köhler病","Kienböck病"など国の骨軟骨疾患と同一の発生機序によつて起こると考えられている.
最近,われわれは外傷の既往もなく歩行時第1中足骨頭足底部に疼痛を訴え来院し,母趾腓側種子骨の無腐性壊死の診断で,腓側種子骨を摘出し,良好な結果をえた症例を経験したので文献的考察を加え報告したい.
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