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開始に至った経緯
服部 奨先生(山口大教授)が頚椎椎弓のZ形成による脊柱管拡大術を世界に先駆けて発表されたのは1973年のことであった.当時,腰椎や頚椎の複数回手術の病態としていわゆるlaminectomy membrane(LM=術後にみられる硬膜管周囲の瘢痕形成)が問題となっていた.その発生を予防し,進行を防止する対策として椎弓のZ形成術を開発したと記載されている5).当時,頚椎ではKahnや桐田良人(京大)らによって硬膜管内の歯状靱帯(Lig. denticulatum)切離による頚髄の背方シフトの有効性が議論されていた.筆者らは圧迫された頚髄の後方除圧術後のLMの進入程度について動物実験を重ねた結果,管外操作による除圧の有益性を確認してきた(宇沢,大平,大岩,渡辺).
1960年代に導入されたair drillは,桐田により開発されたen-bloc式の椎弓切除を可能とし,後縦靱帯骨化症(OPLL)を含む狭窄性頚髄症に対する手術の安全性と改善率を飛躍的に向上させた.服部による椎弓のZ形成術もこのdrillの導入によって初めて可能となったが,その技術的な難度は決して低いものではないと考えられ,筆者が追試することは叶わなかった.筆者はそれまでdrillとケリソン・パンチでpiece by pieceに行っていた椎弓切除を,桐田法にならってen-blocに行うこととしたが,その際,両側に掘った側溝部から切除椎弓を摘出する直前,すなわち半開きにopen-doorした状態で硬膜管に拍動をみたとき,圧迫されていた脊髄の除圧はこの時点ですでに果たされているのでは?と考えた.1977年にその思いつき(serendipity)を即,実行に移した.当時,倫理委員会なるものはなかったが,現在に置き換えれば手続きにそれなりの手間と時間を要するであろうかと愚考している.
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