臨床外科交見室
医師過剰時代と研修医
浅海 秀一郎
1
1富士吉田市立病院外科
pp.1321
発行日 1995年10月20日
Published Date 1995/10/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407901997
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私たちが医学部を卒業した昭和40年代前半に,インターン廃止の青医連運動が起こりました.この運動は新しい研修医制度を生み,卒後2年間の研修期間に対して身分の保証をするという意味ではそれなりの役割はあったと思います.しかし,その研修方法は細部にわたり定められておらず,臨床経験がないまま卒後すぐに専門教育へと流れ,この間,各診療科を回る研修方式は一部の機関だけであり,明確な指針がないのをとても残念に思います.
このことは,すべての医師が専門医となったとしても,広範な初期治療,あるいはこれからの高齢化時代における在宅医療などを考えると問題は解決しえないし,将来の医療二極化を推測すれば早急の対策が必要です.すべての制度は約30年経過すれば「制度疲労」として問題を呈示します.これは「歴史の理」のようです.ましてや,現在では施設により研修希望者と研修医枠にアンバランスがあるようです.この研修病院や予算枠は,国だけで無理ならば,研修施設審査基準を緩め,総合病院を称する地方自治体立病院なども考慮すればよいのではないでしょうか.また,医師過剰は当時の保険医総辞退運動から派生し,その後に導き出された各県1医大構想の結果ですが,今後は定員削減問題が必ず起こってくるでしょう.定員減については,当時の国立大学の定員は約60名でしたから,国立大学においてはある程度は可能でしょう.
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