Medical Essay メスと絵筆とカンバスと・12
手術術式の図
若林 利重
1
1東京警察病院
pp.1594-1595
発行日 1993年12月20日
Published Date 1993/12/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407901446
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第54回日本外科学会総会(1954年)の膵臓に関する宿題報告の担当者は吉岡一(膵切除),本庄一夫(膵全切除の臨床と実際),大野良雄(膵切除—脂肝を中心として)の3先生であった.当時の宿題報告のテーマと担当者は前年度の総会で決定された.私は結核療養所へ勤務したばかりのときだったので,吉岡先生の宿題報告には自分1人でできる仕事を分担することにした.
その頃の膵切除(主に膵頭十二指腸切除)の成績は惨憺たるものであった.あるとき塩沢院長がこの手術を見に手術室へ入ってきた.患者が院長の親戚の人だったからだ.院長が「助かるかね.」と言ったのに対して吉岡先生は「fifty-fiftyです.」と答えた.不幸にしてこの患者は手術台のうえで亡くなった.私は吉岡先生の手術を手伝っていて,死亡の主な原因は手術適応の範囲の広げすぎと術中の大出血だと感じていた.術前に適応の選択を厳しくすることは当時としては無理だった.ERCPや血管造影が出てくる遙か昔のことだからだ.術中の大出血も適応範囲の逸脱によることが少なくなかった.しかしそうでなくても予期しない大出血に遭遇し収拾のつかなくなることもしばしばあった.
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