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□Paré全集とその飜訳
Paréの論文が,早くから他の言葉に飜訳されて広まつたことは前回にふれた通りである.最初の鉄砲傷の処置に関する論文(1545年)は2年後の1547年にすでにオランダ語で出版されている.その他数々あるが,Paréが,自分の仕事の集大成として発表した"全集"は1575年に初版が出た.医学部医達の反論や中傷をのりきつて,1582年にはラテン語版が出る.それまでのParéの論文は,いずれも正規の医学用語とされていたラテン語には飜訳されていなかつたのである.訳したのはParéの弟子であるJacques Guillemeau(ジャック・ギユモー)であつた.Paréは分娩に関するフランス語の本の最初の著者であり,その伝統をついだのか,Guillemeauは産婦人科医として後に有名になる.しかし,このラテン語訳はあまりよい飜訳ではなかつたのだそうで,それを種本にしたドイツ語版と英語版には内容にひずみが出ていると指摘する人もいる.ドイツ語版は1594年にPeter Uffenbach(ペーター・ウッフェンバッハ)の訳で,また英語版はずつとおくれて1634年にThomas Johnson(トーマス・ジョンソン)の訳で出版されている.
英語・ドイツ語版がフランス語の初版をもとにしたラテン語版経由の本であるのに対して,オランダ語版は1585年に出た第4版のフランス語版から直接訳されている.この第4版には先に述べているように,"弁明と旅行記"という補章がついていて,Pareの思想や学問の背景となる状況がしるされている.ラテン語版・ドイツ語版にはこの章がなく,おくれて出た英語版にはこの部分はフランス語版から収録されている.またこの部分だけを出版したものもイギリスには多い.オランダ語版の訳者はCarolum Battum(カロルム・バットム)で,現在のベルギーの市Ghent(ゲント)生れの医師で,プロテスタント移住で,オランダのDordrecht(ドルドレヒト)へうつり,そこで1592年に出版する.このオランダ語版はその後数々の版を重ねるが,1627年版と1649年版が,江戸時代の日本に到着している.ドルドレヒトの町は江戸の末期に日本からオランダへ送り出された留学生達が,努力の日々を送つたゆかりの地である.
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