連載 整形外科と蘭學・16
楢林鎮山とパレ
川嶌 眞人
1
Mahito Kawashima
1
1川嶌整形外科病院
pp.1322-1324
発行日 2005年12月1日
Published Date 2005/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408100232
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■はじめに
中津医学校校長・大江雲澤の医療にも多くの影響を与えた華岡青洲の外科学は,弟子たちの手によって全国的に知られるようになった.青洲は自ら著作することは少なかったといわれ,伝えられている多くの著作は弟子たちの手によるものといわれている.華岡流の整骨法で有名なものが肩関節の脱臼整復法である.患者の腋窩に天秤棒を通してかつぎ上げ,術者が腕を引っ張りながら脱臼を整復するというものであり,この図はいろいろな形で今日に至るまで伝わっている(図1,2).この整復法の原図といえるものを書いたのが「近代外科の父」とも称されているアンブロアズ・パレ(1510~1590)である.
この脱臼整復法は,前野良沢の師でもあった吉雄耕牛が書いた1790年の免許皆伝書や,杉田玄白の師,西元哲が1735年に書いた「金瘡跌撲療治の書」や,伊良子光顕が1767年に出版した「外科訓蒙図彙」という書にも登場しているので,江戸時代の整復法としてはよほど知られていたものであろう.
このパレ由来の脱臼整復法を最も早く紹介した書が宝永3年(1706)に出版された「紅夷外科宗伝」であり(図3,4),平戸の観光資料館でみた見事な彩色図には大いに感動した記憶がある.本稿ではこの書の執筆者である長崎のオランダ通詞で外科医であった楢林鎮山について述べてみたい.
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