海外だより
楓の黄葉(1)
渋沢 喜守雄
1
1国立王子病院
pp.484-485
発行日 1971年3月20日
Published Date 1971/3/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407205328
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これから何回も訪米できまいし,たとえ行つても滞在目数はひどく短いだろうと考え,こんどは,思いきり目数を長く(規定をこえて),一切観光はやめにし,できるだけ多くの大学と,病院を足と目と口とで存分にエンジョイする計画をたてて,先方と打ちあわせ出かけた.考え方によれば,こんなつまらぬ旅はないし,クタビレモウケにすぎない.シンシナチのAltemeier教授も,アンァーバーのChild教授も,その他も,年賀状でオ前はあまり無理をしすぎた,今後はモットゆつくりしろと書いてきてくれたし,コロンバスのZollinger教授はフットボールしか見せられなくて残念だつたといつてきてくれた.しかし25の大学,300〜2500床級の各種病院60は十分に歩き,食堂で食事し,誰もいない土・日も出かけてレジデントやナースや患者と話したり,救急手術をやつたり,とに角,毎朝コムラガエリが起るほど,歩き,目を皿のようにして便所の隈までのぞいた.おかげで10回訪米の分ぐらいは,知ることができた.しかし太平洋岸は何時でも行けると思つて,シカゴ滞在中に予定を変え,Scribner教授,Pitts教授,Hunt教授など多くの重要な部分を省いたのは,今になつて惜しかつたと思う.というのはKolffとScribnerとが全く考え方を異にしているし,PittsはPatrickらやMayfield等と見解が違うのを帰国してから思い当つたからである.こうした点は御参考になるだろう.
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