随筆
それからそれ(その3)—小林一三さんと私
青柳 安誠
pp.376-377
発行日 1965年3月20日
Published Date 1965/3/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407203565
- 有料閲覧
- 文献概要
『東宝』というのが,もし東京宝塚劇場を略しての言葉であるとすれば,これは私の父がこの世に残した,生命のある唯一の遺物であろう.何十冊か書いた性や女性研究の書物よりは,たしかに後年まで残るものと思われる.
父は,浅草のオペラを愛し,自らペラゴロを以て任じ,『ペラゴロ草紙』などという著書もあるが,同時に宝塚少女歌劇の創立当時からのフアンであつた.最近評判をとつた朝日新聞紙の,新・人国記秋田県の巻で,私のこともちよつと紹介してあつて,その中に『父の有美は文学者で宝塚少女歌劇の創始者の1人だつた』と記されてあるが,これは誤りで,父は宝塚少女歌劇の単なるフアンに過ぎなかつたのである.
Copyright © 1965, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.