Japanese
English
綜説
大網の単純性炎症性腫瘤について
On simply inflammatory tumor of the greater omentum
田中 早苗
1
,
折田 薫三
1
,
神村 政行
1
Sanae TANAKA
1
1岡山大学医学部第一外科
1The 1st department of surgery, University of Okayama School of Medicine
pp.1222-1229
発行日 1962年12月20日
Published Date 1962/12/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407203000
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Ⅰ.はじめに
腹腔内手術や既存の炎症,あるいは不明の原因によつて大網に炎症性腫瘤が発生してくることは,1874年にはじめてMüller2)によつて報告された.すなわちMüllerは57歳の女性の剖検例で,慢性腹膜炎が原因と考えられた大網の異常な慢性炎症性肥厚に気付いて報告している.しかし,それよりさきすでに1853年Virchowは,大腸の単純性炎症についての研究にさいし孤立性癒着性大腸周囲炎の存在を指摘し,大網の肥厚および萎縮に関する報告をおこなつているが,その頃から腹腔内単純性炎症性腫瘍は外科領域において徐々に脚光をあびてきていた.
1899年にはSchnitzler3)によるヘルニヤ手術後の大網膜に発生した炎症性腫瘤の報告があるが,1901年にBraun4)が大網膜腫瘤の症例を集計しその成因に関する報告をしたときをもつて,網膜の炎症性腫瘍が他の疾患からかなり判然と独立分離されたといつてよい.その後多数の論文が欧米において発表されているが,本邦では意外にも本症に関する報告例はすくなく,明治39年田中5)が腹部大動脈瘤破裂による死亡の剖検例で,偶然に大網膜の下端に虫卵を含有する線維性の厚い鳩卵大の大網膜腫瘤をみいだしているのがおそらく本邦第1例目であろう.以来,報告例が漸増してきてはおるが欧米のそれに比し大変少なく,われわれは前記田中の報告以来の本邦文献を可及的漏れることなく集計し50余例を得たにすぎない.
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