--------------------
鳥潟隆三先生が亡くなられる迄
荒木 千里
1
1京大
pp.130
発行日 1952年3月20日
Published Date 1952/3/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407200990
- 有料閲覧
- 文献概要
先生は元来お丈夫な方で,今度の御病気以外は特に病気されたことはないと思う.ぼつてり肥つて,時に顔がむくんで見えることがあるので,何度か尿の蛋白や糖をしらべてみたが,何もなかつた.又あのエネルギッシュな勉強振りが,一時的にしろ衰えたと思われることもなかつた.それが昭和22年6月突然第1回の脳出血である.酒も煙草ものまない先生が脳出血とは,誰しも意外に感じるが,私はどうも先生の大食に責があるのではないかと思う.かつての先生の健啖は実に驚くべきもので,一日中自宅に閉じ籠つて書きものをして居られる時でも,朝3杯,書3杯,夜4杯より少いことはなかつた.そして『わしはライオンの性だ』といつて,食膳には必ず獸肉を要求された.そしてこのような大食が先生の御自慢でもあつた.
先生は戰爭末期からずつと秋田の御郷里に疎開して居られた.そこは大館から2里ばかり奥に入つた花岡町—今は鉱山町になつている—で,便利の惡い,そして何となくガサガサしたところである.終戰後昭和21年の5-6月頃,奥様の下腹部にどうも腫瘍が出来たらしい,というので,当時混乱の極にあつた汽車にのり,お二人で遙々大阪迄出てこられたことがあつた.幸い奥様の御病気は何でもなかつたが,お二人ともあまりに痩せて居られるのに驚いた.カラーも洋服もダブダブであつた.
Copyright © 1952, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.