Japanese
English
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戰後の台湾医学界に就て
Medical Field in Formosa after the World War
河石 九二夫
1,2
Kunio KAWAISHI
1,2
1廣島醫科大学
2前臺北帝大
1The Hiroshima Univ., Medical Dep't.
2Taihoku Univ.
pp.211-215
発行日 1950年4月20日
Published Date 1950/4/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407200636
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1. いとぐち
本誌の要請に答えて戰後の台湾医学界について語ろうと思うが,その前に終戰当時の台湾の模樣を簡單に記していとぐちとしたい. 読者の參考になる点があれば幸甚である.
終戰と共に台湾はポツダム宣言に從つて中華民國に返還される運命となつたとのことであつたが,台湾に居つて戰時の毎日を多忙に過している日本人にはポツダム宣言なるものがよく分らなかつた. それ程台湾の新聞にはその事が秘せられていたものと考える. 然しそれは台湾人にはよく分つていた樣であつた. 私は当時台北帝大医学部附属医院長として病院の疎開を行い,台北市の救護病院をもやつていた関係上終戰後全職員に対して行つた挨拶は台湾人は日本内地人と共に敗戰したものとの感念で行い,台北市外に建築した台大分院兼救護病院分院の不完全の部を私の管理下にある間に完成して置きたい,たとえ中國兵が来ても,その病院の恩惠に浴するものに其の附近の台湾住民が主であると述べ又本院も疎開病院を復帰し,院内の整備を行つて各人がその職を樂み得る樣にしたいと述べそれを実行に移したのであつた.
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