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I.はじめに
この会は私が歩んだ道の経験を皆さんにご報告し,それをめぐって皆さんのご意見を伺い,またそれに関連した精神医学の問題,あるいは日本における問題についての意見を伺う趣旨で,笠松先生を中心に皆さんに計画して頂いたのであるが,私としては,33年の過去に東京で日本流の精神医学を学んで以来,自分の生涯を初めてゆっくりと顧みる機会を与えられたことに感謝するものである。
この33年間は日本を離れて過した33年間であるが,私にとっては非常に波乱に満ちた歳月であり,人間としても一精神医学者としても全く予期せぬことに次々とぶつかり,数多くの試練を経た半生であり,顧みて数奇な生涯であったと思う。
次々にくり出される数々の挑戦に応答の暇なく,常に現実と闘いつつ,次のステップは何かと,あるいは,2年,3年後,あるいは10年後の将来は何かと,未来を見つめながら,峠を1つ越しても息つく暇もなくまた次の峠に向う生活の連続であった。
時にはささやかな闘いに勝った喜びを味わいもし,新しい希望に然える瞬間もあったが,心身共に疲労困憊その極に達し,動けなくなり,絶望しかけながら自分に鞭打って進んだことも多かった。
ただ1人で台湾島民600万人の精神医療の重責を持たされたのであるから,非常に面白い経験もし,辛い経験もしたのであるが,辛い経験の時にいつも思い出しては元気づけられたのは3人の人のことであった。
1人は父である。父が私が日本へ来る時に与えた一つの詩がある。それを思い出しては自分を力づけたことが多かった。
その詩は「桃源いずこにある,西の峯の最も深き所,漁人に問うを用いず,川に沿いて花を踏みていけ」である。父の意とするところは,「お前は若い志を抱いて日本へ行く。これからだんだん勉強をすると,桃源,すなわち1つのパラダイスを求めていくことであろう。しかし,桃源は非常に奥深い所にあるものだ。誰もわからないものであるが,ただ,陶淵明の桃源境記によれば,川で魚捕りをやっている人は知っているという。わずかな人だけは知っているのだ。しかし,そういう人に道を問うな。むしろ,自分で川のへりに沿って,花を踏んで行け。つまり自分で道をたずねてゆくことに少しは楽しみも味うだろう。」ということである。陶淵明その人の詩だと思うが,父がこれを書いて与えてくれたのを今も覚えている。これを時々思い出しては自分を元気づけていた。「山の彼方の空遠く,幸い住むと人のいう」というが,そういったことを思いつつ私は情熱をもって理想を求めて来た。
しかし1人歩きはなかなか辛いことである。もう1つ,私が困った時に思い出した他の2人は恩師内村祐之教授と植村環牧師であった。その他に幾多の恩師,先輩,同僚であった。例えばここにおられる先生方,あるいは私がハーバードでお世話になったソロモン教授(Prof. Harry C. Solomon)やグリーンブラット教授(Prof. Milton Greenblatt),ロンドンでお世話になったルイス教授(Sir Prof. Aubery Lewis),あるいは私が行った53ヵ国に散在して仕事をしておられる精神医学の同僚にいつも力づけられてきた。
従って,私はここまで来るのに苦労もしたが非常に幸福だったとも思う。今晩もこうして過去を顧みる時間を与えられた。これからの1年間はちょっとひと息つこうというつもりで日本へ来たのである。今日のような時間を与えられて,ひと息つきながら少し過去を顧みることが出来ることは無上の幸福と私は思う。
というのは後を顧りみずに,これから先を歩くのは難しいからである。
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