銀海餘滴
台湾だより
中村 康
pp.372
発行日 1953年7月15日
Published Date 1953/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410201552
- 有料閲覧
- 文献概要
台北に來て早や10日經ちました。台湾では日本醫大同窓生が大歡迎で毎日御馳走ぜめで痩せてしまいました。台北の鴻儒堂書店を訪れました。醫學書院の目録が來て居りました。主人と色々會話しました。醫學書院の本は大部店頭に飾つてありました。一般の批評は醫學書院本は高くていけないと述べて居りましたが,台湾の人に聞くと普通の値段以上に割増しが多くつけられている爲だと言つておりました。台湾へ醫學雑誌が直送出來ないので日本の醫學雑誌類はあまり這入つていない樣です。郵送を日本の郵便局で斷る樣だが,台湾當局はそんな事無いと言つておりました。臨床眼科の評判は非常に良くもつと澤山欲しいとの事です。100部或は200部は買われると思いますが,其だけの部數の入國が困難だと言つていました。醫學書院の本で私の教科書は,既に新版に10數册の申込があると言つておりました。初版を買いそくなつたので2版を買うのだと言う事です。台湾では日本語の戰後の本があまり來ておりません。台湾は非常に暑いです。日本語の使用は禁じられておりますが,日本語の私の講演を聞いて非常に喜んでおりました。戰後の日本醫學を聞きたがつています。又醫療制度を知りたがつております。健保が良いので現代の台湾の醫師は大變樂な様ですが,醫師等では,之を制度化しようと努力しています。醫科大學附屬醫院は仲々立派です。病院の綺麗な事は想像以上で,制度は米國化しており醫學部への入學は志願者が多く非常に困難の樣です。
Copyright © 1953, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.