--名古屋大学教授--斎藤眞先生の憶い出
斎藤教授を悼む
都築 正男
1
1前東京大學
1Tokyo University.
pp.110-111
発行日 1950年3月20日
Published Date 1950/3/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407200608
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曩に,桐原眞一教授の訃か傅えられてから,未だ幾何も日か経たないと思う頃,復々,斎藤眞教授の急逝の報に接した. 眞に衷悼の念に堪えない. 本邦外科学界として,大きな損失であることは言うまでもないが,目下復興途上にある名古屋大学医学部にとつては,何としても,代え難い痛手であると思う. 戰後,斎藤教授は学園復興のために,献身的な努力をしておられたことは,局外者からも克く感ぜられたことで,殊に,最近,同僚桐原教授を失われてから,その後任教授の詮衡に骨を折つておられた時など,時々,学会の用事などで,お会いすると,よく次のような述懐を洩されたことがあつた.
『戰前から,名古屋大学の教職にあつた者は,当然,戰災学園の復興に努力すべきもので,この際一身上の利害等は考えておられぬものであるから,日常,教育上或は研究上,色々と不便を忍んで,努めている. これは、当然のことである. 然し,新しく教授の候補者を推薦するとなると,色々と考えなければならない. 有能で,将来性のある人を迎え,充分に勉強して貰つて,その才能を磨いて貰いたいと思うが,今の名古屋大学では,復興の難事業を控えているので以前のように,教育と研究とに專念すると云う訳にも行かないこともあつて,色々と,遣憾の点が多い. 從つて,折角,有能な方に来て頂いても,当分の間,と云つて,相当に永い間と思うが,雜務に煩らわされるだううから,御気の毒である. 』
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