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平成15(2003)年6月19日,畏友豊倉康夫君が不帰の客となられた。同級生として誠に哀惜に耐えない。昭和18(1943)年以来,ちょうど60年にわたる長い長い交遊であった。われわれが初めて相知ったのは,東京大学医学部2年生のときで,筆者が病気で1年休学して,同君たちの学年に合流したためであった。初対面の際の詰め襟の学生服姿と明るい笑顔を,今でも鮮明に覚えている。しかしグルッペが大分離れていて,たまたま空襲警報で同じ防空壕に入ったりしても,卒業までは親しく話をした覚えはなかった。インターン生活を終え,同君は順調に希望する冲中内科に進まれ,臨床神経学を専攻されることになった。筆者もそれと同じ道を熱望しつつも,既往症のため断念せざるを得なくなり,別の道を歩むことになった。以後,同君はアメリカに2年間留学,神経病理学を研究されて帰国,その頃から,研究を通じて互いに接触する機会が繁くなった。
昭和39年,当時筆者は東京医科歯科大学に勤務していたが,秋のある宵,予告もなしに研究室に同君が,気色ばんだ顔で訪ねて来られた。座りざま,「今日,教授会で自分が神経内科の教授に指名された。まだ,誰にも話していないが,果たして私でいいのだろうか」と,やや虚ろな目を天井に向けながら,ぽつりとつぶやかれた。同じ学内では軽々しく口にすべき事柄ではないし,受けるか辞退するかの選択を迫られて,苦渋に満ちた心情を,学外にいる筆者にそのまま,真っ先に打ち明けてくれた同君の心根に筆者も感動を覚え,自らも頭を冷やしつつ夜の更けるまで,同君の吐露する複雑な諸般の事情の一部始終に耳を傾けながら,最後まで聞き役に徹した。少しは胸が晴れたのか,「後は頑張るしかないか」との言葉を残して去って行かれたが,40年後の今日でも,あのお茶の水の夜寒の,薄暗い電灯の下で過ごした緊迫した一夜を,到底忘れることができない。
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