特集 頸動脈毬
所謂Buffer nervesの外科
若原 英夫
1
1大阪大學醫學部
pp.21-24
発行日 1947年10月20日
Published Date 1947/10/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407200256
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第1章 緒言
1924年KölnのH. E. HeringはMarien—badに於いて,彼の研究した所謂竇神經の切斷が氣管枝喘息及び狹心症發作に卓越した治療效果を招來する事を提唱し,以來再三力説したが,有名な外科醫Danielopoluも亦是を主張した。然し此の所謂頸動脈毬領域Karotis-drüsen Zoneの外科は此の時以前に發足して居たものである事も勿論であつて,稀有ではあるが毬體腫瘍の摘出手術は良く觀察報告されて居り,同時に毬體機能を研究の目的として動物實驗その他も進められて來た。
就中1920年より35年に亙つては,R Leriche,Danielopolu其他多數の外科醫によつて人體に特殊の適應症を發見する可く努力が捧げられ,其等の研究が我邦外科學界に於いて取り上げられるやうになつたのは實に約10年の差があつた。蓋し泰西文獻が主としてラテン系に出た爲ではなかつたかと推察されるのであるが,前大戰にStfassburgLericheが極めて高く評價した殺菌劑の動脈注射法に高調葡萄糖液を併用したといふ瀨尾外科の中山博士と友田外科の松田博士等が喧傳されたのであるかと思ふ。
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