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神経学ないし神経内科は欧米では早くから専門化し,その伝統を誇っているが,わが国では今から約30年前ごろから関心がもたれ始め,その後急速に発展しその結果今や神経内科は殆どの大病院で最も重要な診療科の一つとしての機能を果しているのが現状である。細々とした同好会から出発した日本神経学会もいくつかの世界的業績を挙げ,世界と対等の交流が行われるようになり総会も28回を数え,3,000名の会員を誇り,認定医も1,000名を越し,これらの数は毎年増加の一途を辿っている。今や高齢化社会を迎え痴呆,難病などの社会性が増し,神経内科の比重は医学的にも社会的にも益々増大している。われわれがまだ柑経内科の名称も未定であった昭和30年代当時,欧米の教科書と首っ引きで手探りで勉強した時代からみれば正に隔世の感がある。その事情を反映するごとく,わが国でも神経内科関係の立派な教科書や入門書が出版され始めているが,その一つとして,今回その道の権威である自治医大の水野博士が神経学のハンドブックとして極めて明快にして判り易い入門書を出版された。筆者の序にもあるように,この書は卒業後日が浅く熱意に燃えて臨床研修を行っている方方や神経内科専門医のいない病院で神経疾患の診療に当たっておられる方々を対象に編集されたものである。水野博士はわが国に初あて神経内科が新設された当時私と共に豊倉教授の許で勉強した仲であり,われわれの仲間で最も勉強家で努力家であった方である。昭和44年から4年間シカゴでアメリカの神経学や神経疾患の診療の真髄を体得してこられ,その後次々と優れた業績を挙げられ,今や神経内科グループの中でら同博士を知らない者は誰もいない存在とされているが,本書は同博士の輝かしい経歴,深い経験と洞察を基礎として出発して完成を見たものである。
学生の実習をしているとわが国では質問に対し解答や鑑別がポツリポツリと単発で返ってくることが多く,アメリカの学生では機関銃の如く理路整然とした一連の答えが返ってくるのと極めて対照的であると感じているが,これは能力の差でなく,神経学の教育ないし日常の訓練の違いに依るもので,わが国にも整然と整理された系統的知識のガイドブックが必要と感じていた。私がかつて神経疾患の診断支援コンピュータを開発したのもそこに理由があったが,今回本書を開いてみて先ずその点実に良くその期待に答えていることを知った。しかも,随所に分かり易い表や図が配置され,初心者にも極めて興味深く神経内科に入ってゆける。その内容は神経学的診察法,症候から鑑別診断へ,神経学的検査法,各神経疾患の診断と治療,そして治療法の手技とポイント,の各章からなっているが,例えばエイズの神経症状やミトコンドリア異常症など最新のテーマも合まれており,しかも最後には付録として失語症などの大脳病理学的症状の検査に用いる簡単な検査法までのせられ,日常の診療に極めて有用である。また,従来の同類の本に無かった治療法に就いて特別の配慮がなされているのが嬉しい。かつて神経内科は診断までと言われたこともあり,患者を対象として症状な病変を冷静に見る書が多かったのに対し,本書では序にあるごとく診断や,検査が患者の苦痛を取り去る準備行為であり,何よりも素早い治療や対策が行われる必要を強調しており,アメリカの神経学の基本的精神が随所に盛り込まれている。特に神経内科領域での救急処置についても親切に解説してあり,救急処置を含め日常の診療に大きな支援を与えてくれる。これは患者を病める対等の人間としてみる精神から出発したもので,このヒューマンな精神が本書の底流をなしていて,すがすがしい気持ちを感ずるのは私一人ではあるまい。つまり神経学を医学的かつ社会的に学ぶ気風が込められているのである。
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