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1807年末にGallが到着したParisの学界の趨勢が,彼の脳器官学説を受け容れるに極めてふさわしい情況にあつたことはO.Temkin (Bull.Hist.Med.,21;275,1947)の指摘する所である。当時のParisで支配的であつた思想は記憶,判断,意志など一切の心的現象が外的感覚に山来することを説いてフランス精神医学の祖P.Pinel (1745〜1826)にも深い影響を与えたE.B.de Condil—lac (1715〜80)の感覚主義の延長ともいえるイデオローグ(観念学派)の立場であり,その代表者Destuttde Tracy (1754〜1836)は知的現象が感情の変化したものにすぎぬことを上主張した。同じく代表的イデオローグの一人でもあった医師P.J.G.Cabanis (1757〜1808)は更に一歩をすすめ,「人間の身心論」(1802)において思考は脳の産物であり,内的感覚は内的器官に山来するという生理学的説明を提出し,組織学と外科の大家M.F,X.Bichat (1771〜1802)も情念が有機的生命に山来することを主張してはいたが,すべての心的現象と中枢神経系の関係を十分に洞察するには至つてはいず,また内観心理学の立場を完全には脱却し切つてはいなかつた。ここにおいて比較脳解剖学と行動観察を通じて身心関係の記述的生理学的説明を試みたGallの学説が,イデオローグの立場を更に発展せしめたものとして歓迎される所以があつた。もつとも他方では,イデオローグの後に登場した折衷学派(V.Cousinなど)によるスコットランド学派,ドイツ観念論,デカルト主義などに基づく内観心理学の復興によつて,部分的にイデオローグと共通点をもつGallの説はかつてのWien同様ここでも唯物論との非難も蒙ることにはなるのだが。
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