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9月号をお届けする。本誌が神経科学全領域を対象にしようとする新しい方針を打ち出してから約1年を経過したことになるが,いくらかずつこのことが定着して来たように感じられる。しかし基礎医学方面からの投稿は決して多いとはいえない。もつとも領域によつては原著の殆んどが外国専門誌に送られてしまうという事情もあり,やむを得ないことかもしれない。それはそれとしてそうした分野ではすぐれた総説を寄稿願うということも一考の要があろう。
外国語といえば,近頃必要にせまられて英語のテープをきいているが,前途まさに多難である。外国語の修得の難易はあくまで個人的のもので,一般論は全く意味がないが,それにしても中学以来3分の一世紀も前にカードでおぼえたひとつひとつの単語の発音からやり直さねばならぬ。フランス語研修の経験から云つても,自分で正しく発音できない言葉は,決して他人との会話の中から聴きとれるものではないからである。森有正氏がいつておられるように,『普通言葉は話すこと,聴くこと,書くこと,読むことである。夫々の領域で色々苦心したが,最後に一番困難な領域として残つたのが「聴くこと」であった。書くことや読むことと違つて本当の会話には時間的制限がきびしく,繰り返しは原則的には不可能である。それでも話す方は自分の知つている限りの言い回しを組み合わせる外はないから,不十分でもとにかく話すことは,ある水準以上に言い回しを知つていれば可能であるが,聴く方は,フランス人と同じ程度に言い回しを知つており,またその組み合わせ方を知つていなければ不可能である。これは限られた視聴覚教育で練習した位では全くどうすることも出来ないものである。』きびしさは増す一方だ。解体新書翻訳から今年で20Q年を迎えるというが,その際前野良沢のなめた辛酸は殆んど同じままでわれわれの前にあるように思う。ただ当時と違う点は文法書でも辞書でも会話テープでも楽に手に入るということである。よくよく考えてみると足りないものは当事者の情熱と執念ということになりそうである。個体発生と系統発生との関係のように,われわれ日本人にとつて外国語の修得はそれぞれ個々人のレベルで,先輩良沢のふんだ道を一歩一歩考えながらもう一度ふみならして行くのがさだめといえそうである。
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