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1,2カ月もすると投稿原稿がたちまち机上につみ上げられる。編集部としてはうれしい悲鳴というところであろうが,審査にあたるほうはそうはいかない。編集委員の末席につらなりながら穏当を欠くといつてお叱りをうけるかも知れないが,私は人様の原稿を読むのが人の苦手である。苦痛といつた方がよいかもしれない。私自身文章を書くのがおそく,したがつて発表論文もきわめてとぼしいので,うづたかくつまれた原稿を見るだけでまつとまどいを感ずる。さて投稿された方々は採否のしらせをいく知りたいと待つておられようから出来るだけ早く目を通さねばならない。粒々辛苦してまとめあげられたものであるから,拝見するほうとしても出来るだけ頭のすんだ身体の調子のよい時に見るよう心がける。しかし,いかにせん,当方の知識は馬車馬の目かくしの内側だけときわめて狭いので忽ちしどろもどろになつてしまう。そこでなんとか理解しようと目をこらして内容を繰返し検討しにかかるや,一体この文章のの主語は何で,目的語は何か,この副詞はなににかかるのかなどと文章のはしはしや誤宇が大変気になりだし,挙句のはては内容の吟味は2の次というような本末転倒にもなりかねない。文章のあいまいさは日本語のなきどころ故,ある程度まではやむを得ないことではあろうし,ひとそれぞれのくせというものもあろうから,そうやかましいことはいうべきではないが,科学論文に関する限り,文章の適否を判定する基準のひとつは,外国語に楽にうつしかえられるかどうかということではないだろうか。それかあらぬか,欧文抄録がわれわれの目にもととのつているとうつるものは,日本語の内容もすらすらたどれるものが多いように思われる。これと同様のことは以前にどなたかが書いておられたように記憶するが,私も自分の体験として上記の基準を大切にしている。
みづからの文章の稚拙はたなにあげて,やつあたりのようなことになつたが,そもそもの根源は苦手の上に力の足りないものが精一杯の背のびをして編集委員の座につらなつているがためであろう。
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