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本年はカハールの生誕120年にあたる。7月某日京都でこれを祝う集談会が開かれた。筆者にはカハールの人と業績について話す役が割り当てられた。その準備のため彼の自伝と伝記を読んでみた。以前臨床神経学会で特別講演を依頼された際に一度読んだことがあるので,2度目になるわけだが,あらためて大いに啓発された。
床屋医者からたたきあげた父親が画家になることのみを夢みる少年をなんとか正規の教育を受けた教養ある医者に仕上げようと腐心する。当然おこる反撥でカハールの幼年時代は過ぎる,今日ならばいわくつきの問題児である。16歳より翻然として勉強。息子の気がかわらぬうちにと父親はすばやくサラゴザ大学医学部に登録。臨床のかたわら解剖に熱心なその父親の手ほどきで解剖にうちこむ。卒業と同時に血気にはやり愛国心にもえて,父親の制止をふりきつてキューバ派遣軍に参加。ジャングルでマラリヤを引きうけ,這々の態で帰国。母校の解剖学校室にもどり,教授資格者試験に合格。その間に顕微鏡に対面,そのとりこになり,軍隊からの退職金をはたいて分割払いで新型を入手。以来ランヴイエに傾倒してまつしぐらに組織学へ。グラナダの組織学教授に立候補して果さず,落胆のさなかに喀血入院,日々自殺を考える。恢復,28歳街でみかけた美女に求婚,結婚,最初の論文を発表,やがてヴァレンシアの教授となる。コレラの流行で,その研究に従事,一時はむくわれることの少ない組織学よりもはなやかな細菌学にひかれ迷うも,自らの内気な性格を自覚してもとのさやへ。35歳。ゴルヂ法標本にめぐり合い,そのとりことなつて神経組織学一筋に。脳膜炎で死にゆく娘を看病しつつニューロンの動的極性を思いつく。6人家族をかかえると共に論文発表のための資金ぐりに悪戦苦闘しつつ,バルセローナ,マドリッドの教授と転ず。51歳旅行中にカハール法を思いつき,一転機。54歳のノーベル賞受賞後も研究の手をゆるめず,60歳になんなんとしてグリヤの研究に着手し,しかもつねに自らの手を薬品にひたしつつアチュカロ,オルテガなどとグリヤ学の基礎をきづく。在生中その名を冠した論文280余,著書20余。84歳死の直前にものした随想は題して「80歳より見た世界—一動脈硬化症患者の印象」。自らの体験を通じ老化の苦悩をのべたものであるが,文章は簡潔にして力強く,老いを感じさせないといえる。
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