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あとがき
佐野 圭司
pp.1186
発行日 1968年11月1日
Published Date 1968/11/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1406202468
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- 文献概要
心臓その他の臓器の移植に関係して,「死」とはなんぞやという昔ながらの問題があらためて医学者の間で話題の中心となつている。「死」とはなんであるかとは,うらをかえせば「生」とはなんであるかという問題となり,これに対しては医学的のみならず,哲学的,生物学的,社会学的等々いろいろのアプローチがあると思う。
問題をもつと簡単にして,人間を人間たらしめているのは脳であるから,脳が死ねば,その個体は死んだと考えてよいという主張が一般に容認されている。ところがこの「脳死」の意味が簡単ではない。英語ではもつとも多くcerebral death,時与としてbrain deathということばが使われているが,前者を狭義に解釈すれば大脳の死ということになる。人間の神経とか個性とかはおそらく大脳がそのbiological substrateをなしているのであろうから,個性の死あるいは人間らしさの死という意味ならば脳死すなわち大脳死と考えてもよさそうである。しかし実際臨床上はわれわれはそれに近い状態を遷延昏睡と呼んでおり,けつして死とは考えていないのが現状である。
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