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あとがき
佐野 圭司
pp.950
発行日 1967年9月1日
Published Date 1967/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1406202283
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鉄門倶楽部の会員氏名録をみると明治14年卒業の30名のなかに森 林太郎の名がみえる。林太郎すなわち鷗外は文久2年(1862)1月19日の生れであるから,明治14年(1881)7月の卒業の時は満19歳6カ月であつたことになる(明治14年7月の文部省公報の東京大学新医学士は28名で,その8番目に東京府士族森林太郎十九年八カ月とある)。おそらく東大医学部の歴史のなかで最年少で卒業した記録保持者であろう。
鷗外の生涯をしらべると,かれの教養はもちろん,その文学にも,人格形成にも読書が非常に大きな影響を及ぼしているのに気づく。この読書好きが幼時神童のほまれ高かつたかれをして20歳すぎてもただの人にさせなかつた最大の理由であろう。「……ショォペンハウエルを右にしシルレルを左にして終日兀坐する……(舞姫)」のが創作や軍務以外のかれの生活の大部分をしめていたようである。
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