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あとがき
淸水
pp.301
発行日 1950年9月1日
Published Date 1950/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1406200145
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約9ケ月足らずのアメリカ滯在から,やつと歸つて來ました。前回2年半たらず,合せて約3年の在米生活でありますが,1940年と,更に1950年と10年目に行つたことは色々な意味で,大へんによかつたと思います。始めてアメリカに行くと,何も彼もが珍らしくて,良かれ惡しかれ非常に印象に強くうつつて,あれも,これも日本に歸つて話そうと思うのですが,少したつて來ると,何も彼もが,今度は極くあたりまえのことに思えて,何にも話す材料がなくなつて了うのです。そして誰かゞアメリカ土産の話をする。それをきいてみると,なるほどこれが珍らしい話であつたかと,今更乍ら自分のウカツに氣がつくのです。滯米何十年のおぢいさんが,久し振りで日本へ歸つて何も話をしないのはこんなことにもよるのかと思います。
然し乍ら,此前の時も,今度の時も,一番強く私の印象に殘つたのは,アメリカのお醫者さんたちが,よく勉強するということです。お醫者許りでなく,學生も,インターンも,又病院に働くすべてのものが,とてもよく働きます。時間が來たらやりかけのことがあつてもサッサと歸つて了う等いうのは,學問を究め,又患者の命をあづかる醫者並びこその關係者達には,ないことです。かりそめの研究上の話をしながら,夕食事も忘れて夜をふかした事もある。あの熱意と努力が,今日のアメリカの醫學を築き上げたのだとつくづく感じた事でした。研究施設がよいからとか,お金をたくさん使うからとか,それも一つのファクターには違いありませんが,何よりもアメリカ醫學界の特徴は研究熱心なことゝ察して参りました。
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