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■はじめに
いじめや欠席,なかでも延々と繰り返されるいじめや一見これといった理由のない長期欠席など,児童期のトラブルに接していて,驚かされることも増えている。迫害不安や被害妄想,引きこもりや自閉は精神医学になじみのテーマである。こういった問題が,学校を場に深刻なことになっているようである11)。
発達途上にあり,絶えず変わりゆく子どもの世界を普遍化することは,評論にはなっても,あまり成功しないことのように思う。子ども達の理解し難い言動を嘆くのはいつの世にも繰り返されてきたことである。「近頃の若い者は……」といらだつ大人に「……だから大人は……」と心を閉ざす。せいぜい,こんな旧くて新しいギャップを取り出すしかないだろう。
こんな親子の葛藤や世代間の不安が近頃は精神科医のもとにも持ち込まれる。そのわかり難さのゆえに,その背景に隠された意味への関与を求められているものと思われる。医療が病いの痛みや悩みを和らげ,猶予を与え,自然な力を発露させようとするかぎり,あるいは,病いの中に何らかの癒しや成長のプロセスを見ようとするかぎり,集団生活のもつれschool bullyingや学校生活のっまずきschool refusalをはじめとする,こういった問題は,これからも医師に持ち込まれて来るだろう8,1)。
地域における医療と同じようなことは学校における保健室にも言える。先の子ども達のある者はそこを訪ね,そこで,ある救いを得ている。しかし,養護教諭の力にも限りがあり,専門家からのネットワーク的な支援が求められている。保健室は,我々にとって連絡の取りやすい,臨床に開かれた窓である。その実際を知ることは,精神医療が地域社会へかかわる通路を見いだすことにもなろう。
筆者が主治医としてかかわったケースの中から,近年ごく普通のことになってしまった保健室登校4),つまりそこをホームルームにせざるをえなかったケースを通して,以上のようなところを見直し,校医の体験や,医療と教育や福祉の接点での臨床経験から検討してみたい。
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